デンマークから1970年にドイツに来て、福祉情報の交換、政治家や福祉従事者の研修の受け入れをしてきた、デンマークドイツアカデミーの元所長カール・ニュホールムさんに話を伺った。

<当時のデンマーク>
 1956年まで農業国だったが、それ以降工業化し、工業国になった。1972年まで経済成長と共に発展し、失業はなしの状態。デンマーク国家としても福祉にお金が使え、公的機関が社会福祉の責任をもった。

<当時のドイツ>
 当時ドイツに社会福祉(という概念)はほとんどなく、NATOの軍事費の負担が多かった。1300人規模の大きな施設で(内容も)ひどかった。例えば、子供の部屋では25人の子供がバスとトイレを共同、知的障害者は35人で1部屋を使い、裸でビニール敷きのベッド、トイレも垂れ流し。老人ホームは、6〜8人、12人で1つの部屋(を使うという状態だった)。

<デンマークの歴史>
 1536年までは、宗教(カソリック)が福祉を担っていた。宗教改革以降は、国政が福祉の責任をもち(国家の責任)、1536年〜1800年代まで絶対王政できた。
 1849年普通選挙で国会ができ、現在あるように省ができた。そのうちの1つ「社会省」が福祉の責任を持つことになった。コペンハーゲンにあった社会省(国)が中央集権的に、各地域に病院や施設を配置した。例えば、知的障害者も400人〜600人ぐらいの大きな病院ができた。同様に、精神障害者のための病院もいくつか設置された。ところが大きな施設では、生活は十分にできるけれど、決して十分でなかった。
 1950年代の経済は発展し、その経済発展を背景に、福祉を分権化していくことになった。福祉、教育などを都道府県に移行することになった。そして、この14の県が経済的にサービスをして、市に移行された。(市町村の責任は義務教育、国の社会省立案。)
 1956年から10年ぐらいの間に、大きな施設を廃止して、その代わりに各県、市町村に小さな施設を作り、小規模化の政策を行った。
 1960年代〜70年代は、更に小規模化し、プライイェムは15〜20人ぐらいの定員の施設が作られる。その背景には、国民にも福祉を充実するところの同意があったからである。同時に、1950年代から福祉充実の教育の改正もあったので、障害者施設などの職員養成する職員もほぼ有資格者が働いた。
デンマークは、コムーネ(市)がめんどうみる体制が整った。
 1970〜80年代、国家予算が削減され、十分なケアが受けられない時期があった。
 50年、60年〜70年にかけて、近代化した。完全雇用で、経済的に良い。楽観的により現代的な施設を作って、それがずっと続くと思っていた。福祉の近代化をするのに外国(ドイツ、アメリカ、日本)から国債してきた。資金投資(財源)でたくさんの施設を作った。ところが、1972年〜3年 オイルショックがあり、14〜18%の失業者がでた。産業は問題になり、コペンハーゲンでは18〜26歳の若者で30〜40%の失業率だった。国家が急に貧しくなった。(とうことで、)1970年〜80年代は国家予算の節減が求められ始め、60年代に比べると悪化した。

 1960年〜70年にかけてデンマークドイツアカデミーは繁栄した。(というのもドイツはデンマークを真似したから。)政治家にデンマークの施設を見せて、研究させた。ということで、当時のここでの仕事が実って、全国各地にデンマークモデルとして施設も大きくなってきた。

<ドイツの歴史>
 1800年代は皇帝、ビスマルクが国政を握っていた。彼は、障害者、高齢者は国の責任ではなく、家族が援助すべきだ。家族でできなければ、近親縁者で助け合う。そして、どうしても見つからない場合に国が援助しましょう。この当時、ビスマルクがドイツの福祉の原則を打ち出した。と、同時にドイツで失業、貧民が多くなり、田舎から都会に仕事を求めて人々が流れてきた。ところが、工場に従事する労働者の家族が貧困に陥った際、助けてくれる家族がなかった。労働者の中で、相互扶助をする動きが出てきた。例えば、ディアコニーなどの民間の牧師などである。
 1800年から現在までたくさんのオーガニゼーション、民間の事業団体ができた。その1つは、カソリック団体の職員が福祉に力を入れた。 現在、南ドイツの最大の団体になっている。北ドイツはディアコンで、大きな宗教団体(プロテスタント)が福祉事業を行っている。
 もう1つは労働者の団体で、別個に自分たちの団体を作り、福祉事業団を形成した。たくさんの小さな小規模の団体を連合した組織がある。
 ドイツでこのように団結して、宝くじを売って資金を集めてお金を作る事業をして組織を大きくした。それは、問題が起きた時に、団体ができることを意味している。(ex.家族会、子供を失った子供たち、親たちの団体がたくさんある。)それらの団体が、福祉病院等大きなものをつくっている。ところが、ここ30年〜40年、このような病人や障害者にかかる負担が大きくなってきたため、国家が何らかの形で、援助金を出さないといけなくなっている。ドイツは連合州で管轄しているが、各州の社会省は大きな3つの団体に対して、交渉して誰が一番安く福祉事業ができるのかと競合させ、費用を抑えようとした。
ところが、できるだけ「安く」事業を請けたまわろうとした結果、職員数は非常に少なく、必要最低限の仕事に留まり、人間的つきあいはできなくなった。
 もう1つのドイツの特徴では、高齢者施設や病院で、兵役を拒否した人たち(徴兵拒否者)が兵役を行うかわりに運転や病院のつきそい、車椅子を押す、庭の手入れなどをするなどしており、医療的介助は入っていなかったが、実際は、ベッドからの起床、食事などケアする人もでてきた。施設の人手不足を解決していたので、徴兵期間が18ヶ月→16ヶ月→12ヶ月と減ると福祉に従事する人たちから、兵役期間の削減する動きに反対することがたくさんあった。マスコミなどからも社会福祉の維持ができないと批判があった。(待遇:給料は月収400〜500マルク、20〜25歳、部屋は無料、食事は提供された。)一方、若者たちも、仕事の限定をしていないから福祉の仕事に力を入れた。同時に、福祉従事者に男性が少ないので、働くから喜ばれた。
 もう1つの特徴は、経済的に自己負担があることだ。例えば、プライイェムに入ると一部自己負担がある。経済的に裕福だと問題はないが、支払えない人もでてくる。
 現在のドイツのプライイェムを説明する時、職員が人手不足のため忙しい。人数が足りていないという状況がいえる。6ヶ月前、プライイェムを視察した人が、じょくそうが出来ていたのを見た。

<デンマークの今後>
 高齢者福祉に関して、今後どのように発展していくか関心がある。1年前、大学生が施設に実習に行き、そこで、どのように働いているのか体制を調査した。ストップウォッチを持って計ったところによると、すべての職員が平均3時間しか働いていなくて、残りの時間は、コーヒーを飲んで座っていた。その学生は報告書を新聞に出した。デンマーク中に多くの反響を呼んだ。
 また、(虚弱の)家族の会ができて、自分の親のしたことを書いてくれと呼びかけた。約1000通集まり、トイレの介助をする時間がない、おむつ交換しない、においを消すための臭い消しをかけた。ある痴呆の高齢者の食事をテーブルに出したが、30分後におなかすいていないのですねと、片付けたなど、いろいろなケア不足のことが書かれていた。もちろん肯定的な手紙もあったけれど、全体的にみた場合、プライイェムでは上手く出来ていないという印象を受けた。
 国家予算が十分にあった1960年代〜70年代に比べると、職員が少なくなり、1980年以降にプライイェムに入ってくる高齢者は、要介護度の高い人が多くなり、仕事の負担が大きくなった。仕事が忙しくなり、高齢者と話す時間が少なくなり、職員もやる気がなくなってくる等ストレスがあってモチベーション(動機づけ)が低くなっている。その対応として、社会大臣、福祉大臣は効果的に監査をするシステムを作った。(高齢者団体は自分達の監査をすると言っている。)
 今後人を増やさないといけなくなるだろう。デンマークも上手くいっているけれど、悪いこともあるのが事実だ。

<デンマークの在宅ケア(訪問介護)>
 デンマークは、コムーネ(市町村)が提供している。これは1970年代に訪問・在宅ケアが設置され、充実してきた。当時は、専業主婦が多くいて、子供が大きくなって時間が空いた時、その人たち(主婦)をヘルパーとしてやとった。そのヘルパーが派遣されて、掃除、買い物、家事仕事などをした。自治体が看護婦を配置し、当初希望があればやるという広範囲で提供していた。ところが、ホームヘルパー、在宅のニーズが高くなってそれに対応しきれなくなった。そこで自治体と契約して、事前にどのようなことをするのか決めることにした。最小限にしたために、例えば今まで5時間使っていたのが1時間へと節減された。そいうことは、在宅ケア(ホームヘルパー)に対する意味が少なくなってきた。ホームヘルパーは効率的に仕事をして、地域だけを担当するという効率化されることになった。良いところは、利用者にとって、無料できる。自治体が、在宅ケアを雇用しているけれども、1980年代に政府が民間もこのサービスを提供できると提案した。ということで、いわゆる家事労働を担当する会社がいくつかできた。自己負担はあるが、自己負担分は市が払うので、実際利用者の負担はなし。ところが、経済的に不足する雇用者が出てきて、領収書を書いて、市に請求する業者が出てきた。このような不正が行われたりした結果、民間はなくなった。


<ドイツの在宅ケア>
 1975年の時点、在宅ケアはほとんど未知の概念。1975年ごろから民間の在宅ケアを行う事業者が出てきた。例えば、看護婦が人を雇って、在宅ケアをするなど。ハンブルグは、170万人の人口がいるけれど、100ぐらいの在宅ケアの業者がある。中にはまじめな会社もあるけれど、不正を行うところもある。大きな3つの団体ソシアル・ステショーンがある。ここは、大きな団体がやっているので、組織がしっかりしている。そこが提供しているサービスは利用者が自己負担をしなければならない。

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